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NTT労働組合退職者の会

トピックス

2022年7月20日
第30回沖縄ピースすて~じ -戦後77年-復帰50年

情報労連「2022沖縄ピースすて~じ」は6月23日(木)~25日(土)の3日間にわたり行われ、全国各地から約160名の組合員が参加し行動が展開された。退職者の会からは、兵庫県支部協・樋口事務局長、滋賀県支部協・橋井事務局次長、東京支部協・奈良井副会長、中央協・本橋副会長の4名が参加した。

6月23日(木)

初日の午後から「那覇文化芸術劇場なは-と大劇場」にて連合「2022平和行動in沖縄」の「平和オキナワ集会」が開会された。まず第一部は法政大学教授・明田川融 氏による基調講演「沖縄の施政権返還50年と日米地位協定」が行われた。

第二部は平和式典。全員で戦没者に対する黙祷を捧げた後、主催者を代表して芳野連合会長の挨拶、続いて地元を代表して東盛連合沖縄会長から「戦後77年、本土復帰50年の節目の年を迎えたが、県民の願いは再び世界に戦禍が起こらないことだ」との挨拶があった。次に玉城沖縄県知事などの来賓挨拶が続き、沖縄から次の平和行動の地である広島にピースフラッグがリレーされ、最後に「平和アピール」を採択し閉会した。

次に会場を移し、情報労連「2022沖縄ピースすて~じ」の結団式が行われた。主催者を代表して安藤情報労連中央執行委員長から「戦跡・基地学習行動などを体感し、平和の尊さ、命の大切さを実感し家族・職場などで語り継ぐことを主眼に開催している。30回を迎え時代が変わり世代が変わっても平和の運動を定着・発展していきたい」と挨拶があった。

続いて地元を代表して仲宗根地元実行委員長から「祖国復帰から50年の節目の年を迎えたが、基地のない平和な島への願いは叶えられていない。『真に平和な社会の実現』をめざす行動を考える機会になればと思っている」と挨拶した。

最後に木原支援スタッフの力強い「団結ガンバロー」で終了した。

6月24日(金)戦跡・基地学習行動

二日目と三日目の午前は、バス3台ずつ、2グループに別れ戦跡・基地学習行動を行った。各バスには歴史や文化などを説明するため、支援スタッフ4名がガイドとして同乗し、二日目は嘉数高台公園へ向かった。嘉数高台公園は宜野湾市が沖縄戦の最激戦地を公園に整備したところで「世界で一番危険な基地」と言われる普天間基地が望める。基地は街中にあり航空機の騒音や航空機事故の危険性が強く感じる場所である。地元住民の慰霊塔「嘉数の塔」の前で黙祷を捧げ公園を後にした。

続いて「祖国復帰闘争碑」のある沖縄本島最北端の辺戸岬に向った。
「復帰闘争碑」には第3代沖縄祖国復帰協議会会長 桃原用行氏(初代全電通沖縄県支部委員長)が、県民の平和への願いが叶えられていない現実や、今後も「平和」を取り戻すため力を合わせて取り組んでいく決意について執筆した内容が刻まれている。

続いて普天間基地の移設先として新基地建設が進められている辺野古へ向かった。瀬嵩浜からはブイによる海上フェンスが良く見え、新基地の建設が進んでいるのが確認出来る。ガイドからはここにいる私たちも監視船から監視されているとの説明があった。

次にチビチリガマへ移動。ガイドから「1945年4月1日米軍が上陸すると、読谷村波平区の住民の多くはガマ(自然壕)などに身を隠した。チビチリガマとシムクガマに分かれて避難したが、チビチリガマでは住民141名が避難し、米軍の投降勧告を拒んで85人が絶命した。しかしシムクガマでは2名のハワイからの帰国者がおり、英語が話せたので米軍と交渉し、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して投降へと導き、1千人前後の避難民の命が助かった」との説明を聞いた後、全員で黙祷を捧げた。

次に嘉手納基地と道を挟んだところにある「道の駅かでな」に到着。屋上展望台からは広大な嘉手納基地か一望できる。実際に目にした基地の大きさに驚いた。嘉手納基地は極東最大の空軍基地であり、嘉手納町においては町面積の82%を占めていると言う。ここからホテルに戻り二日目の行程は終了となった。

6月25日(土)戦跡・基地学習行動と平和学習会、報告集会・解団式

三日目はまず、沖縄戦で亡くなった逓信職員の御霊を祭ってある「逓魂之塔」で慰霊祭が行われた。はじめに参加者全員で黙祷を捧げたのち、主催者を代表して、鈴木情報労連中央本部副委員長より「平和とは単に戦争や紛争がない状態をいうのではなく、人間が尊厳をもって安心・安全な生活を続けることのできる共生社会であり、そのことを強く訴え続けていくことが私たちの責任です。」と挨拶があった。続いて、鈴木副委員長、梅田副委員長、仲宗根現地実行委員長が焼香をし、引き続き、鈴木副委員長らによる献花、各組織代表が千羽鶴を献鶴した。

続いて、「魂魄の塔」へ向かった。「魂魄の塔」は沖縄戦の後、住民の手で建てられた最初の慰霊塔であり、「魂」は「たましい」、「魄」は浮遊霊の意味が込められているという。

次に「ひめゆり平和祈念資料館」へと向かった。資料館前では石橋みちひろ組織内参議院議員に迎えられた。資料館の入り口には「ひめゆり学徒隊」の鎮魂のために建設された、「ひめゆりの塔」があり全員で黙祷を捧げた。資料館では沖縄戦で亡くなった「ひめゆり学徒隊」227名の遺影や遺品、生存者の証言映像や手記が展示されている。多くの写真には戦前に撮られた女学生の笑顔が印象深く、改めて戦争の残酷さを感じた。

続いて、「沖縄県平和祈念公園」に向った。ここは広大な敷地内に沖縄平和祈念堂、平和祈念資料館、平和の礎、慰霊碑などを有する緑豊かな祈りの地である。「平和の礎」は「国を超え、敵・味方を超え、また軍人と住民、加害者と被害者の別なく、全ての戦没者」の氏名を刻んで永久に残すために建設された。現在、241,686人が刻銘されている。慰霊の日の翌日と言うこともあり、遺族と思われる方々が名前の刻まれている前で、手を合わせ献花している姿が多く見られた。

午後からは、平和学習会と報告集会・解団式が行われた。平和学習会では屋良朝博前衆議院議員による演題「21世紀の安保を考える!」の講演があった。続いて報告集会・解団式に移り、石橋みちひろ組織内参議院議員による連帯挨拶があり「祖国復帰50年たった今の沖縄の現実・現状をもう一度見て認識していただきたい。結局50年たった今も基地建設が強行されて沖縄が要塞化されている。いったい誰を守るためなのか。日本は今の憲法の下で、平和外交を追求するべきだ。我々こそが平和を守り作りたい。それが日本国憲法だから。そういった政治を追求していきたい」と語った。

続いて、参加者代表から行動参加者報告が行われた。「私たちは今、たくさんの命の犠牲の上に生きている。その事実を学び後世に伝えていくことが生かされている私たちの使命だと感じた」と感想を述べた。
次に梅田副委員長から、まずは全国からの支援スタッフと現地支援スタッフに対し労をねぎらう言葉があり全員からの拍手で感謝の気持ちを伝えた。そして行動のまとめとして「今、ウクライナでは多くの方が亡くなり、街が破壊されている。なぜこの様な戦争が繰り返えされるのか。私たちはこの3日間で戦争の愚かさをあらためて学び実感したことから、二度と戦争を繰り返えさせないよう誓いあいたい」と述べた。

続いて、仲宗根沖縄県協議会議長から大上免広島県協議会青年議長にピースフラッグリレーが行われた。フラッグを受けた大上免広島県協議会青年議長は「沖縄の皆様の思いを広島ピースフオーラムへ、また全国へとつなげたい」と決意を明らかにした。

最後に、吉田支援スタッフの音頭で「団結ガンバロー」を三唱し、3日間の行動を終了した。


祖国復帰闘争碑(辺戸岬)
「道の駅かでな」から嘉手納基地
「沖縄県平和祈念公園」の「平和の火」前

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