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NTT労働組合退職者の会

トピックス

2016年07月08日
情報労連「2016年沖縄ピースすてーじ」への参加

情報労連平和4行動のスタートとして、「沖縄ピースすてーじ」が6月23日~25日の3日間開催された。退職者の会からも、岩手・岐阜・大阪・大分支部協、中央協から西澤・高石両副会長が参加した。NTT労組中央本部・定居中央執行委員も現役の責任者として参加した。

今回の参加者は、全国から330名と沖縄現地100名の430名となった。羽田から沖縄那覇空港に到着すると、梅雨明けの沖縄の空は真っ青、痛いくらいの太陽、更に真っ白な入道雲に沖縄を実感した。

第一日目は、那覇市民会館で連合平和集会参加した。会場には連合傘下の組合員が多くいたが、圧倒的に情報労連の参加者が多いのがわかる。集会の最初に民進党の枝野幹事長が挨拶をした。枝野幹事長は6月23日の慰霊の日の式典に参加してから駆けつけた。

集会の最初は、沖縄スーパガイドとして沖縄戦場の語り部として有名な「崎原真弓」さんの語り部で始まる。崎原さんは現在ではガイドをやめて、語り部を専門に行っているそうだ。おばあの恰好をしての1時間の語り部は観衆の心をとらえていた。その後連合としての集会を行った。

連合集会の後で、情報労連「2016年沖縄ピースすてーじ」結団式を行った。結団式には「石橋みちひろ」参議院議員も参加し、決意を訴え、参加者も再選に向けて強く確認を誓った。この平和集会は毎年慰霊の日を中心に開催されている。集会終了後ホテルに行き、その後沖縄支部協瀬良垣会長、黒島顧問を囲み懇談会を開き、沖縄の実相について話し合った。

2日目は、ホテルを7時40分に集合し、バスで嘉手納基地へと向かう(退職者は1号車のバスに乗る)嘉手納基地脇の公園で出発式を行い、行進に入る。ペットボトルと麦わら帽子を貰い行進に入るが、汗の出方が半端ではない。参加者の仲間のシュプレヒコールで声を出して行進する。総行程17キロのうち13キロ地点での昼食休憩のところで退職者は独自行動になる。行進の間、基地からの航空機の爆音、頻繁なオスプレイの飛来を目にして沖縄県民に実相を実感した。

全体と別れてからは、「みちのえきかでな」に行き嘉手納基地の大きさを実感する。ここでもオスプレイの爆音を実感する。その後、ひめゆりの塔に行き当時の状況を資料館で学習する。

その後、全体で行う逓魂の碑に向かい慰霊祭に参加をする、慰霊祭では西沢副会長が代表して献鶴をする。多くの我々の先輩が戦争の犠牲になっている逓魂の碑で黙祷をおこない、改めて平和を確認する。

ホテルに帰り、すぐに、沖縄支部協の仲間との交流会場「料亭那覇」に行く。 現地までの道路が渋滞していて私達も若干遅れたが、瀬良垣会長も1時間弱遅れてきた。沖縄の仲間と私達で25名が交流をした。参加者は沖縄の民謡・舞踊を満喫した様子だった。

3日目は、バス8台がそれぞれの戦跡・基地学習会に向かう。私たちは糸数壕で目の前が真っ暗な状況を体験する。懐中電灯を消すと全く何も見えない状況となる。このような状況で何日も生活をし、また子供が泣くのを軍人からとがめられ、自ら自分の子供の口をふさいだ親の気持ちを考えると、米軍と日本軍の両方から犠牲になったことがわかる。戦争は勝っても負けても犠牲になるのは一般国民である。絶対に戦争をしてはいけないことを再認識する。今の安倍政権の憲法改正を許すような結果はさせてはならない。

その後、平和公園、平和の礎などを見学し、私たちは辺野古に向かう。ここで座り込みをしている人から辺野古の海の大切さと、新たな軍事基地が必要のないことを学ぶ。ゲート前に機動隊のバスが置かれているが、現在は基地の作業は行われていない。その後バスで、嘉数高台へ、ここからは普天間基地が一望できる。普天間基地が世界一危険な基地を実感するが、それを辺野古に新たな軍事基地を作ることにはならない。今日のバスでの移動中、スコールに何回も出会うが、私たちはバスの中で助かる。他のバスの人たちは(8台で移動)外でスコールにあったと言う。

ホテルに戻り平和学習会と解団式を行う。学習会では沖縄大学教授の島袋先生から、「それってどうなの?沖縄基地の話」を教材に話を受ける。一冊100円の良い本である。

その後、参加者からの参加報告があり、若い人たちが沖縄の実態を職場に帰り、家に帰り語っていくとの決意が話された。若い人は話が立派だ。

最後に沖縄から広島にピースフラックリレーがされて日程を終了した。
皆さんが、石橋みちひろの必勝への思いを強くした3日間だった。

連合・沖縄平和集会に集合する退職者の会中央協の派遣者
嘉手納基地を行進する退職者の会の参加者

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